ひとりがたり

日常のもの・こと・妄想など

自己責任と他者の協力と柔らかい考え方

桜と青空

桜と青空

自己責任についてちょっと前にツイッターでつぶやいた。

 

 

自分の人生は自分でその道を選び取ることが前提でそれを自己責任と呼ぶけれど、もし自分の選んだ道が間違えていて、泥沼にはまったときに他人に石を投げられるいわれはない。

さらに言うと、間違えて泥沼にはまってしまった人が身近にいたら手を差し伸べられるような社会が理想といえる。

 

だが、今の世の中は。

 

間違えて泥沼にはまった人にいがぐりや剣山やナイフやとにかくとがった武器をたくさんぶん投げるやつの多い社会だ。

時折、泥沼の中にいる人間に手を差し伸べて違う考え方もあるよって言ってる人もいるけれど、泥沼の中の人間も手を振り払ってそのうえで武器を投げつけてるのを見かけることもある。

泥沼の中にいても武器を投げつけるような人間はそのままでいいと思う。

武器を投げられない人間は本当に手を差し伸べてロープで引っ張り出さないといけないのではないか?

自己責任だけども、救済は必要なのだ。

 

私自身が泥沼の中にいたことがある。

もらい事故みたいな人生のトラブルが続いて身動きが取れなくなっていた時だった。

私の場合は家族が少しだけ手助けしてくれたのと、夫に出会ったことがきっかけで抜け出すことができた。

幸い当時つらいとつぶやいてたり書いていた内容に対して、たくさん助けになる言葉をもらった。

私は人に恵まれていたのだろう。

当時の私は武器を投げられることはなかった。

むしろたくさんのサルベージロープと浮き輪を投げ込んでもらえた。

 

なので、次は私ができる範囲でサルベージロープと浮き輪を投げていきたいと思っている。

言葉ぐらいしかかけられないけれど、泥沼の中にいる人に手を差し伸べたい。

その人の現状は自己責任だけれど、現状を抜け出すためにこんな方法は?ってアイデアを出すぐらいはしていきたい。

他人の意見を取り入れて改善できる人とできない人がいると思うんだけど、いろんな人がいろんなアイデアを出していけばどれかがスパッとはまってうまくいくこともあるだろう。

 

まぁ、さ、他社の協力を受け入れられない人はいつまでたっても泥沼から抜けられないんだよ。

でもその人に石を投げる必要はないんだ。

愚か者が愚か者に石を投げる。

そういうのは私はしたくない。

 

などとワインを飲みながらひとりがたり。

 

~完~

 

こんな考えに至るにあたり私は本を読みまくりました。

 ここに紹介しきれないくらい読みまくってます。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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幸せになる勇気

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親切は脳に効く

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太公望 上 (文春文庫)

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太公望 中 (文春文庫)

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太公望 下 (文春文庫)

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