ひとりがたり

日常のもの・こと・妄想など

初心

使い捨て(最近はリサイクルされているが)カメラを持ち、お出かけがてら街のスナップを撮った。
線路の写真は、デジカメモノクロモードで撮影。
なかなか見た瞬間きゅんとくる風景、景色にあたらない。
都会には私の居場所はないのかもしれない。
というか、気持ちを揺さぶる一端みたいなものが。
詩と写真を観ていただければわかるが、郊外の雰囲気漂う写真が多いだろう。
旅行写真でもそうだ、京都中心部より、清水や、嵐山などの写真が多い。
安心するのだろう。生まれ育った土地に似ているから。
確かに都会もおもしろい。
煩雑としていて無機質で美しい。
一時そういった写真にあこがれた時期もあったが、やはりしっくりこなくて自分のカラーに戻っていった。
そのころは撮っても気に食わなくてボツばかりだしていた。
どうしたらよいか、行き詰まり、ある真冬の午後夕方の明るい内数時間で子供の頃遊んでいたルートを自転車でたどった。
いわば原点回帰。
これがうまく行った。
だから、今回の使い捨てカメラ君だってなにかの突破口になるかもしれない。

今日は劇を見てきた。
妹が風邪でいけないかもーとチケットのもらい手を探していたが、妹が復活したので一緒に出かけた。
(君の心臓の鼓動が聞こえる場所)という題名。
主役の役者さんが好きなのでチケットをとった。
内容はネタバレになるので言わないが、笑いあり、涙ありなキャラメル節は変わり無く、最後まで楽しめた。
お父さんと来たい感じの劇だった。娘と父親の話なので。

ほぼ毎日、何で自分はこんな人間なんだろう、と思う。
いいのだ、言葉の通り受け取ってもらって、嫌われたり呆れられたり拒否される方が私は楽である。
自分の勝手な期待であるが、期待を持ち希望を持ちふつふつと生殺し状態になるなら、いっそ殺してくれという。
私はバカだし非常識なのだよ。
敗北し去りゆく背後に跳び蹴りでとどめを刺してくれ。
まぁ、そんな感じである。
この話はここまで、また前を見て歩かなくてはならない。
過去の恋(カタオモイ)は段ボールにひっそりしまうことにする。
新しいスキナキモチを探さねば!
春は短し恋せよ乙女。
乙女という歳ではない。

人を好きになることは必要以上にエネルギィを消費する。(過去の自分より調査済み)
好きな人がいる間まず生産できなくなるものが、生産の段階で一番エネルギィを使うイラスト。
次に小説。
詩は書ける。
歌を歌えなくなったら、いよいよ重病。
どんな結果であろうと結果がでればまた詠える。
私のモノヅクリにはむらっけがあるらしい。