マウントを取られたらを考える日
梅吉です。
私は基本楽観主義者なので、マウントを取られたなんて思う事はないんですが、人によって考え方が違うみたいなので今日はマウントを取る話について考えてみました。
ツイッターやらラジオやらネットニュースやらが私のよく見ているツールです。
そんな中、気になっている「マウントを取る」という言葉。
意味は
・相手よりも優位に立ち自慢したりすること
をさすそう。
色々調べてみたら、とにかく。
「相手よりも自分がこれだけ優れてるんだよって自慢すること」
をさすようです。
なるほどなるほど。
でもこれってさ、昔からなかった?
たとえばばっちゃんとおば(ばっちゃんの妹)さんの会話を思い出すと、
ばば「なんだか今年はシイタケがダメみたい」
おば「うちは大丈夫そうよ、とてもいいシイタケがなってる」
これ、日常会話だけど現代だったらマウント取ってることになるのかな?
これには、日本の「自分の方が劣ってることを美徳とする文化」
例えば我が子をほめられた時に
「そんなことありませんよー」
って返す親が一定数いるよね。
そういう言葉は子供も聞いててね、
「あぁ、自分は頑張ったのにそんなことないんだ」
ってなるんだって。
つまり、そうやって「そんなことない」を積み重ねてきた人間がもしもだよ、
「うちはこうなんですよー」「へぇ、うちはこうですよー」っていう会話をしたときに
相手がすぐれていた場合、ただの日常会話だとしても「マウント取られた」って思うんじゃなかろうかという私の考察である。
でもって、先日呟いた
だーカーラ――――マウントとる取らないってマウント取られてるって感じるのは、自分の心の体制があおむけだからだよ。
— 梅吉🌸Hugっと!梅キュア@隠れナイスバディ (@umekkoumekichi) 2020年6月9日
うつぶせ、うつぶせになるのよ!
うつぶせになるってね「へ―そうなんだー」で受け流すメンタルのことよ。
みんな仰向けすぎなんだよ!
って言葉ね。
マウント取られたっていう風に感じるのは、あなたの心の体制があおむけだからだよ。
考え方、視点、少し変えてみよ。
そうすると心が楽になるよ。
マウントを取られたって思うってことは自分も「相手より優位に立ちたい」って思ってたってことでしょ?
マウント=あおむけになってる人に乗ってタコ殴り
— 梅吉🌸Hugっと!梅キュア@隠れナイスバディ (@umekkoumekichi) 2020年6月9日
という格闘的概念なので、マウント取られてる人=仰向けになってる人というイメージなんだよ。
マウント取られるとなかなか逃げ出せない。
だからマウント取られる前にうつぶせになって逃げる必要があるん。
逃げないからマウント取られるんだよ…うん。
自分の話してて、相手が急に自分とほぼ無関係な友達の兄が自分よりすごいみたいなマンウント取られるみたいなツイート見たんだよな。
— 梅吉🌸Hugっと!梅キュア@隠れナイスバディ (@umekkoumekichi) 2020年6月9日
だけど、それって全然マウントじゃないじゃん。
むしろ大技出してこけてるぐらいの感じよって思ったよね。
ふぅ…本でも読むか。
そう、マウント取る取らないの話はある日見かけたツイートで考え始めた話。
私が本気でマウント取ったら正論でタコ殴りよ。
ぼっこぼこよ。
マウントじゃなくてそりゃ口撃か。
少しのことで「マウント取られた」って思う人が私の見てる限りの世界では一定数いるようで、これでは自由にお話もできないじゃないか!!!
なんて思ってしまった次第であります。
自由にお話してるだけなんだから「へぇ―そうなんだー」でいいじゃないですか。
それでいいですよ。
この話も「へぇ―そうなんだー」ぐらいで聴いてくれていいですよ。
ありがとうございます。
私の思考と似ている方を一冊紹介。
仏教的な考え方なんだけど、日常にも使える。
考え方です。
私はこの考え方と自分なりの考え方を掛け合わせているようで、
本に書いてあることがとても分かりみが深くて紙の本もほしくなっています。
そんなこんなで、最後までお付き合い、ありがとうございました。