ひとりがたり

日常のもの・こと・妄想など

4月になると・・・

高校生の頃の話だ。
桜の散る頃、確かこんな雨の午前中。
母から学校に電話があって私は早退した。
呼ばれた先は市営の総合病院。

昨年おじいちゃんはガンで入院し、末期とのことだったけど歳も歳だし進行はそんなに早くはないので5年は余命があるとのことだった。
けれど、じいちゃんは余命よりも早くなくなってしまった。原因は脳梗塞
高校生の私は、毎日哀しかった。おじいちゃんが家で療養するために退院してきてから、暇があれば学校帰りに父の実家によっておじいちゃんと話をしていた。このときもほんの一週間前にじいちゃんと話したばかりだった。
いつか、このときが来るとはわかっていたけれど、実際目の当たりにすると自分がこんなにも無力だと実感してしまう。
病院に到着してから母が私に伝えた状況は、おじいちゃんは、脳幹の血管が詰まってあと数日の命だと言うことだった。
たくさんの管やコードに繋がれたおじいちゃんは瞼を閉じて『生かされて』いた。
ガンになってからだいぶやせたけれど、よけいにやつれたように見えて、私は怖いとおもってしまった。
おばあちゃんが『手を握ってやって』と言った。
私は、手を握ったらそのまま消えてしまうような気がして握れず、ただわんわん泣いて立ちつくすだけだった。
無力。
何もできない自分にいらだちを感じた。

それから爺ちゃんが亡くなるまで毎日毎日泣いていた。
泣いてもどうにもならないのに。
なんかとんでもない奇跡が起きて、目が覚めるように祈りながら毎日暮らしていた。
毎日と言っても多分1週間ぐらいだ。
1週間ぐらい経った、21日また学校に電話がかかってきて、授業が終わったら母の携帯に電話するように言われた。
なんとなく、爺ちゃんが亡くなったんだなと思って、授業中涙を浮かべたまま歯を食いしばっていた。
でも、やっぱりぽろんと涙がこぼれてときどきハンカチで拭きながら目薬を差した。
大丈夫。
大丈夫じゃないくせに言い聞かせながら、授業が終わるとすぐに電話して早退した。

その日も雨だった。
桜は全て散り、地面に濃い桜色の花の跡が残っていた。木には若葉。春の雨。
電車で病院に向かいながら、私はぼーっとしていた。
『あっけないな』と思った。
人間て、すぐ死んじゃうんだって思った。
73年生きる人もいれば28で亡くなる人もいる。
理不尽だ。
不平等だ。
でも、理不尽も不平等も人間が決めたこと。
生き物の最後が『死』だという事だけは平等。
だったら、理不尽も不平等も自分でなんとかできるんじゃないか。短くてもやりたいことをたくさんできて『幸せだった』と思える一生にしたら理不尽でも不平等でもないんじゃないか。
ものすごく哀しくて自分も死にたいぐらいだったけど、死んではいけない、もしかしたら20になった瞬間車にひかれて死ぬかもしれないからそれまでにできることをたくさんやらなければいけない。と思った。
病室で爺ちゃんは眠っているようだった。
両親や親戚は医者に説明を受けてるようで、私に『みてて』と言ってどこかへ行ってしまった。
涙はあまり出てこなかった。
その体から『意志』や『気持ち』や『ぬくもり』は消えていた。
無力な自分ができることは何もなかった。
でも、亡くなった人のために生きることはできるんだと知っていた。
とてもそんな気分じゃなかったけど。

4月になると、そんなことを毎年思い出す。
大切な人を亡くすと言うことは誰もが通る道だろうけど、それぞれに感じ方が違うだろう。
私はこう思った。ってのを書いただけ。
今もこのとき思ったことは自分のモットーとして生き続けているし、これからも生き続けるだろう。

『やれることはやれる内にできることからやっていこう』

変わらず。まっすぐに。