ひとりがたり

日常のもの・こと・妄想など

73.煙

雨続きでのぼれなかった屋上の一番高いところ。まるで屋根の上でひなたぼっこする猫のごとく、野崎理都は屋上へと繋がる階段の屋根の上で昼寝をしていた。
辺りにはゴミがまとめられたコンビニの袋と、飲みかけのイチゴオレ、セブンスター、鞄、制服の上着、が散乱している。
鞄から伸びたヘッドフォンからは誰かの曲がわずかに音漏れし、辛うじて彼の意識を現実へとどめていた。
暖かい。
春の日差しを浴びて、昼寝するのも今年で3年目を迎えた。
うつら、うらしていると、不意に彼の携帯がけたたましく鳴り響いた。
彼はだるそうに、しかししっかりと画面を見つめると受話ボタンを押した。

「はい・・・何?」
「ネコぉ・・・どこにおるん?もうすぐ授業始まるで!!」

ネコと呼ばれているのは野崎理都、そして、電話の声の主は樺島航旗というネコの親友だ。
樺島航旗はとても不思議な奴で、関東出身のくせになぜか関西弁を喋る。

「はぁ?なんで今日はそんなことで電話するん?」
「えぇ!ネコ、きいとらん?今日は英語のテストがある日やで!!これ受けんと、やばいって師岡がいっとったで」
「あぁぁぁぁ!!そだ、忘れてた!!今から行く!!」

電話を切ると、ネコは辺りに散乱していた物を急いで拾い集め教室へ向かった。


「カバ、サンキュな!」
「どーも、こんな時ぐらいしか役にたたへんもん俺」

にひっと笑うと、カバは前から送られてきた答案用紙をネコに手渡す。
全部で50問、まぁ・・・内容は漢字のテストと同じような物で、言葉の意味と、スペルを正しく書くという物で内容から言えば中学生レベルの物だった。
しかし、なぜか英語教師の師岡の授業では月一回このテストが行われるのだ。おそらく、生徒いびりの一環なのだろう。
そのため、ほとんどの生徒がぎりぎりまで50問すべて暗記しようともがく。
けれど、野崎理都にはそんな必要はなかった。
良く、カバに言われる。

「ネコはなんでこの高校はいったん?」

ネコは答える。

「近かったから」

本当に、それだけなのだ。
ただ、近かったから。
ネコはまるで新聞の答えのわかっているクロスワードパズルでも解くかのように、頬杖をつきすらすらと問題を解いていく。
記憶した物を、吐き出す。
その繰り返しだ。
タバコの煙とよく似た記憶。
吸っては、吐き、そして肺を蝕む。
記憶して、思い出し、そして心を蝕む。
思い出すのはよいことなのか?
それは、タバコの煙を吐き出すのがよいことなのかと問うているのと同じくらい馬鹿なことだった。
覚えている記憶は吐き出した方がいい。
吐き出さないと窒息してしまう記憶もある。
大事な物を失ったとき、それがわかった。
親友、恋人、自分。

予鈴とともに、テスト終了の合図。
答案用紙を集めると師岡はいつも通りの気持ち悪い笑いを浮かべ、そそくさと教室を出ていってしまった。
ネコは鞄を持ち、教室を出る。

「どこいくん?」
「まっさかまた授業さぼる気じゃないでしょうね?ネコ君。全くこれだから君は・・・」
「・・・・・・今日は、体調悪いから帰るわ・・・なんか・・・うん・・・担任にいっといて。」
「・・・ネコ・・・」
「わかりました・・・只、カバを付けて帰ってください。まぁ・・・あとは僕がフォローしますから、カバは安心してネコ君についていてあげなさい」
「あうっ!」

背中を押されて焦るカバの耳元で、ケンちゃんが呟いた。

(あの事件以来、ネコ君はいつも凹んでるでしょ?色々話聞いてあげてください。励ましは禁物ですよ?良いですね?)
(あ・・・あぁ・・・うん。わかった・・・)

「にゃあこvケンちゃんのお許しも出たところで、帰りますか?具合悪いンなら、一緒に歩いてやる奴が居らんと・・・な?」
「・・・・・・」
「しゃべれんくらい具合悪いン?大丈夫?」
「あぁ・・・」

ネコはどちらともとれない返事をすると、ちょろちょろと動き回るカバを無視して歩き出した。

帰り道、二人は無言のままいつもの道を歩いた。
カバがふっと見上げると、ポケットに片手を突っ込んだネコが片手で無言のまま自転車を押している。
何となく、話しかけられない重苦しい雰囲気。
そんな雰囲気のまま、ネコの家に着いた。
今日は老人会のため、ネコのばあちゃんは出かけていて家には誰もいなかった。

「誰も、おらんの?」
「あぁ・・・」

すたすたと二階の自室へ向かうネコを、勝手に上がり込んだカバが追いかけるが、
ぱたんとドアを閉めたきり、開けてもらえなかった。
中からは、ライターをつける音。
ドアに寄りかかる音。
音だけがそこにネコが居ることを、詳細に伝えた。

「なぁ・・・ネコ、お前が辛い思いしたんは、俺もケンちゃんも痛いほどわかっとるつもりや、だから、お前がそうやって辛そうにしとると俺もケンちゃんも辛い。なぁ、ドア開けなくてもええから訊いてな。
魅月と勇人を断ち切れとは言わない、けど、いつものお前みたいにすっと背筋のばして前、見てみぃ。こんなところでうだうだしてる暇はないで。もし、俺が今のお前みたいな状況になったら、お前はこう言ってくれるんちゃう?『1人で悩むなんて、らしくないぜ。俺等友達じゃん?』って・・・。」

しばしの沈黙。
そして、ドアを開ける音。
目の前にひらけるネコの部屋を眺め、カバはネコへと焦点を合わせる。

「よぉ・・・はいれよ、冷えるだろ。廊下は・・・」
「顔見えんからって、恥ずかしいこと言ってしまったわな。えへへ・・・」

カバはいつも通り無遠慮にネコの部屋へはいると、茶色い畳の上にあるチョコレート色のソファーの上にごろんと横になった。
ネコはというと、テーブルを挟んで向かい側にあるソファーと同じ色の座椅子にベージュのクッションを抱いて座っている。

「・・・テレビ、見るか?」
「うん」

テレビを付け他のは良いが、特に面白い番組がなかったので人気ドラマの再放送をとりあえずつけておいた。
ネコがタバコに火をつける。
それの横顔をカバが見つめると、視線に気が付きネコがタバコを指に挟んでくすくすと笑う。

「ありがとよ。お前にしては上出来だったぜ」
「何が・・・?」
「何でもない」

そしてまた、くすくすと笑うとネコは煙を吸い込み、吐き出した。
記憶と、煙は別物だ。

また、くすくすと笑った。