ひとりがたり

日常のもの・こと・妄想など

29.デルタ(三角形)

日当たりの良い出窓の下の白い壁に僕達は膝を抱えて並んでいた。
優しげな表情の女性が、僕達にパンとミルクを運んできた。
僕達はその女性を見上げてパンとミルクを受け取る。
「ありがとうございます」
僕が女性に告げると、女性はまた、優しげに微笑み僕の頭を撫でた。
一方僕の隣りに並んでいた僕と同じ顔の男の子は、女性の手からパンとミルクをひったくった。
それを見ていたら、なんだか僕はまるで僕が女性の手からパンとミルクをひったくったような気になって、すまない気持ちになる。
「御免なさい」
それでも女性は笑顔だった。
女性が立ち去ると、僕と同じ顔の男の子は僕からもパンと牛乳を無言でひったくった。
僕は少しむっとしたが、いつものことだ、僕は出窓の横にある大きな本棚の一番上の段にある人の殺され方の本を、小さなはしごを使って取り出した。
はじめは、空腹を紛らわす為に、読書をはじめた。けれど今は、そうじゃない純粋に自分の頭の中の脳という器官にデータとして知識が蓄積されていくことがとても楽しかった。
食事の時間を惜しむくらいそれは魅力的なことだった。
僕と同じ顔の男の子は僕を見て笑う。
「そんなの読んで何になる、空腹が満たされるか?俺達の役目が解るのか?」
僕は本から目を離し、彼の方を向く。
「少なくとも、これを読んでいれば自分以外の他人の人生がどんなふうかってことから、人を殺す方法、道具、人の生かし方、何でも解る。君よりは僕の方がデータは沢山持ってると思うけど」
彼は少しだけ、むっとする。もっともむっとしてるのはいつものことだった。
「だったら、俺達がなんだかしってるのかよ?」
「知っているよ、人工授精の際に分裂して双子になった。君と僕とは全く同じDNAを持ってる、つまり兄弟。分身と言ってもいいんじゃないかな?」
彼は僕が説明すると少しがっかりした表情になった。
そろそろ食事の時間だ僕らは食事の場所である、出窓の下の白い壁により掛かり膝を抱えて座った。

いつもの女性だ。
彼女が出てきた部屋へこっそりと僕は忍び込んだ。
彼女は多分僕たちのことをデータとして取っている。
産まれたときから、今までずっと。もしかしたら彼女が僕たちの母親かもしれない。
僕は後ろ手に鍵を閉めて、耳だけをよく澄ましながら、僕らの名前の書かれたファイルを開く。名前と言っても、殆どアルファベットと数字の並びみたいな物だけど。
僕は僕らが何かの実験台だと知っていた。それは沢山の本を読んで知ったことだった。
はじめに彼のファイルを開く。
(ファイル癸隠毅沓坑検MJH3078:生後3011日目:MJH3077から食料を奪う、等MJH3077に敵対心を持っているようで、MJH3077にこだわりを持っている。
自らの考えは殆ど口に出さず、口よりも行動を先に行うが、成功率はきわめて低い。先日もMJH3077と口論になったが、MJH3078がMJH3077の頭部を鈍器で殴りMJH3077を負傷させた為、決着はつかず)
僕は、あの時のことだ、と思い当たる節があった。
多分この僕らの居る施設のどこからか、監視されているのかもしれない。
彼のファイルをあらかた読み終わると僕のファイルに手をかける。
緊張で手が冷たくなっている。
震える手でページをめくった。
(ファイル癸隠娃僑娃掘MJH3077:生後1607日目:MJH3078から食料を奪われ、ひとしきり泣いたあと、本棚へ向かい本を読み始める。先日私達が指導した文字や数字は殆どマスターしたようだ。)
(ファイル癸隠毅坑坑検MJH3077:生後3213日目:MJH3078に向かって双子についての解説を行っている、また、日に読む本の数がどんどん増えて現在は、1日約10冊程度にまでなっている。内容は、人の生命に関わることが多い。(別資料参照)
MJH3078違い感情を表に出さず、一見おとなしい。)
最近の資料だった。
さらに資料をあさる。
少し黄ばんだファイルが出てきた。
ページをめくる。
(ファイル癸娃院Щ邯慨畢MJH3077・・・)
僕は読み進める。
僕の本当の父親と母親はナンバーで呼ばれていたが、詳細に父親は連続強姦殺人犯母親は強盗殺人の上幼児虐待をした死刑囚であることを知った。
これは、人殺しの遺伝子で人殺しが出来るかどうかの実験だ。
僕は確信して、ファイルを元に戻すと部屋を出ようとした。
僕がドアへ振り返ると、いつもの女性が優しげな笑みを浮かべてドアの前に立っていた。
「MJH3077何やってるの?駄目でしょ?こんな所に来ちゃ」
僕は少し後ずさり、ぎこちなく笑った。
「ご・・・御免なさい」
「お仕置きね」
僕はその声に震え上がった。
お仕置きされてまともに戻ってきたやつなんて居なかった。
僕は後ずさりながら、いやいやと首を横に振ったが、女性は僕の腕を掴み引きずるようにお仕置き部屋へと押し込んだ。
そこは暗闇だった。
わずかな光がドアの隙間から入り込む以外は漆黒の闇、壁は柔らかい素材。
多分頭を打ち付けたりして自殺しないようにだ。
それは本当に、僕が想像していた、刑務所の反省室のイメージのままだった。
僕は部屋の広さを確かめるように、左手の平で壁をつたい移動した。
自分が足を延ばして寝られるぐらいのスペースはあるらしい、しかし、トイレも、何もないことに気が付く。
どれぐらい時間が経っただろうか、僕は、部屋のはしっこで体育座りをして半分眠っていた。
と、そこへサイレンの音と共に、部屋が赤いライトで紅く染まった。
僕は驚いて、天井を見上げ、辺りを見回した。
漆黒の闇に包まれていた部屋が真っ赤に染まっている。
それは僕の精神を不安定にした。もしかしたらこれも僕たちを試す実験なのかもしれない。
僕は叫んだ。
「やめて、ここから出して!!ちゃんと言いつけを守ります、食事をとられても怒りません、だから、だから、ここから出して!!」
けれど、だいぶ長い間、サイレンと赤いライトは止まらなかった。

多分、外の世界では数日が経った、僕はもうサイレンと赤いライトには怯えなくなった。
ただ、音がして部屋の色が変化するだけ。
僕は1日の大半を眠って過ごすようになった。
夢かもしれない、これは、夢なのかもしれない。
何度考えても、今この場所に僕の体は存在して、夢かどうか確かめるために、食いちぎった腕からは血が流れ出た。
サイレンが鳴りやんで、暗闇に戻った室内でまた膝を抱えて座っていると、ゆっくりと光の筋が開いてゆく。
僕が顔を上げると、ドアが開いていた。
僕はそっと立ち上がり、ドアに近づく。
「・・・御免なさい」
僕が俯いたまま呟くと、目の前に立っていたのは、金髪の、僕より少しだけ年上の男の子だった。そして、その後ろには、僕と同じ顔をした、男の子。
僕は首を傾げる。
「その・・・あの・・・えっと」
「俺は菊野香月、お前と、お前の兄さんをここから助け出しに来た。お前の兄さんには名前を付けてやったんだけど、お前にはまだ、名前がないよな?」
ガラス玉のような、すみれ色の瞳が笑う。
僕はきょとんとしたままその瞳に見とれていた。
「お前の兄さんには、棗一(そういち)って名前をやったんだけどね、お前はどんなのが良い?」
「僕、名前とかよく分からないし・・・」
僕は本当に解らなくて、少し俯いた。
俯いた先に、死体があることに気が付いて目が、釘付けになる。
その様子を見て、棗一が笑う。
「あぁ、これね、先生だよ。俺達が今朝、殺したんだ。あっけなかったよ。」
床一面に広がる赤い血。
僕は怯えて声も出なかった。
菊野香月は、僕を見つめた。
「そうだ、お前はこれから陽一郎だ。いいか、それと、お前らの名字は先生の名前からもらうと良い。松谷。良いな?」
僕は頷くしかなかった。
今日から僕の名前は松谷陽一郎だ。そして、兄が、松谷棗一。
目の前に立っている金髪の男のが菊野香月。
僕は名前という存在に初めて気が付いた。
今まで名前のない世界に住んでいたからだ。
「でもさ、俺と同じ顔の人間なんて、二人もいらないんだけど。」
棗一が僕を見下すように見つめながら言った。
僕は、少し怯えながら、後ずさる。
「しょうがないじゃないか、棗一。僕らもう3人で暮らすしかないんだよ。この研究所の人、殆ど殺してしまったから。」
菊野香月は、笑いながら銃を掲げる棗一の前に立ちはだかった。僕の目の前に彼の背中が来る。背中には、銃が一丁隠されていた。

僕はそれを手に取る。重たかった。重たくて冷たくてどう扱えばいいのか解らなかったけど、初めて引き金を引いた。
それが、棗一の肩に当たった。
僕の中の何かがはじけた。
床の上をもがく、棗一の上にまたがる。
もがきながらも僕に銃を向けている。
「棗一が、二人も同じ顔はいらないって、言ったんだよ。別に消えるのは僕じゃなくても良いだろ、消えるのが棗一だって、何ら問題ないはずだ」
菊野香月は、僕らを見つめてやれやれという風に肩をすくめた。
しかし、止める気はない。
「お前に・・・出来るのかよ?」
僕は棗一の眼光に負けて少しだけ気持ちが萎えた。そこを狙って、力一杯僕の鳩尾辺りに棗一がけりを放った、僕は後ろ向きに吹っ飛ぶ。
多分、あばらが何本かいった。
銃は床の上を滑って、だいぶ遠くへ飛んでいってしまった。
僕は床に大の字に寝ころんだまま、空を見つめた。
サイレンの部屋で死ぬよりはましだった。
棗一が僕の上にまたがる、さっきとは反対のポジションだ。
僕の額に銃をあてる。
僕はなんだかその様子が滑稽に思えてきて、笑い出してしまった。
「はは、殺せば、僕なんか、殺せばいいよ。所詮僕たちは人殺しの子供なんだから、どっちが死のうが誰にも迷惑はかからない、寧ろ喜ばれるべき人間だよ。早く、引き金を引いて、僕を殺して、僕を殺せば、あんたも死んだことになるんだ。」
抵抗しない僕をしばらく見つめると、棗一は引き金に手をかけた。
目を瞑る。
火薬が破裂する音と共に、硝煙の香り。
僕はうっすらと目を開けた。
そこには、空を見つめたまま倒れかかる棗一が居た。

「3人が二人になってしまったね」
菊野香月が悲しそうに呟いた。
「・・・な、何が起きたの?」
僕は自分の手を見つめた、冷たくて思い銃を握っていた。
「君は自分で引き金を引いたんだ。実の兄が初めての人殺しか・・・悪くないスタートだね」
菊野香月は僕の手に張り付いた拳銃を回収して、自分のホルスターに収めた。
「君は無意識に先生が持っていた銃を取り上げ、彼を撃ち殺したんだ。これからは、僕と、君二人だけ」
僕は彼を見上げる。そうだ、彼は身長が高い。
「どうすればいいの?」
「ただひたすらに、生きるんだよ。死なないようにね」
菊野香月は笑った。