ひとりがたり

日常のもの・こと・妄想など

68.蝉の死骸

夏も終わり、さめた夜風が鈴虫の音色と共にそよそよと草を揺らした。
月の船が、彼らの頭の上にぽっかりと夜空の一部を切り取ったかのように、白く光っている。
その、月の光で、彼らの足下の舗装の悪いアスファルトの上には、彼らの影が長く伸びていた。
蝉が、死んでいる。
夏ももうすぐ終わりだ。
声をからした蝉は、死んでいく。
それは、あっけない死だ。
並んで立っていた影の片方が、月を見上げる。

「今日はぁ、いい月だ。明るすぎず、暗すぎない」

つられてその隣の影も、月を見る。

「僕にはよく分からないな、天体には詳しくない、それに、あんたが今やろうとしてることにも」

月の光で、眼鏡が光る。

「簡単だよ、俺がやろうとしてる事って、いつもとっても、単純じゃあないか。」

金の短髪に、白いロングコート。青い目の男は、にこりと微笑んだ。
片方の、茶色の髪に、眼鏡の男はあからさまに不快そうに頷いた。

「あんたのそう言うところが、僕は嫌いだな、何考えてるか、時々分からなくなる」
「当たり前だろ、俺の中には、俺以外にあと7人も人格が住んでるんだから」

器用に、持っていたトランクの鍵を解除する。

「一体、今のお前は誰なんだ?」

そう答と、白いコートの男は微笑む。

「サックス・レリオット・・・だよ、松谷君」

松谷、と呼ばれる男が、鼻で笑う。

「通りで、気に食わないわけだ・・・まさか、あんただったとはな」

目を細め、眼鏡を上げる。
銀色の縁が、月に反射して光る。

「其れより、仕事に移らない?松谷君」

松谷は黙ったまま歩き出す。
其れが合図のように、鍵を解除したトランクの中から、銃をとりだした。

「あんた、何考えてるんだよ・・・人殺しは、ゴメンだぜ」

と、良いながらも、松谷は自分のガンベルトから、小型の護身用の銃を取り出した。

「銃は、僕の趣味じゃないんだけどね・・・はぁ、サックスが相手だと疲れるよ、全く!!」

壁を盾に、2発、見張りの警官に発砲。
命中。

「入り口が騒ぎになってる、後は手筈通り頼むよ、松谷君。」
「りょーかい、300メートル先、正門の前のコンビニで、アリスが待機してる」
「了解、幸運を」
「あぁ、お互いに」

悪党が、何いってんだか・・・。
松谷は、ひとりごち、正門の裏にある大きな木の下にセットしておいた起爆装置を押す。
大きな爆発が起こり、さらに辺りはパニックになる。

「サックスは派手好きだから、たちが悪い・・・こんな仕事・・・」
また、爆発。

「もっと、スマートに、簡単に出来るだろうが・・・」

さらに、爆発。
これだけぶっ壊せば、あいつがあとは上手くやるだろう。
松谷はアリスの待機しているコンビニへと歩き出した。
町中がパニックで、松谷一人が堂々と正門を横切っても誰も気がつかない。
しかし、美術館をぶっ壊すのはなんて楽しいんだろう。
思わず鼻歌を歌いたくなるが、我慢して、その場をさった。


2時間後。
松谷と、サックスと、アリスは今日の戦利品を取り囲み、イスに座していた。

「サックス、あんな派手にやって、これひとつだけだったの?」

松谷は、訝しげにサックスをのぞき込んだが、サックスは機嫌よさげに笑ってるだけだった。

「そうね、あたしも、貴方の真意が知りたいわ。あたしが頼んだのは違うものだったはずでしょう?」

アリスは珈琲のカップを両手で包みながら、サックスを見つめた。

「蝉の死骸」

それだけ呟くように、サックスは発し、沈黙した。

「蝉の死骸?」

しばし沈黙。

「アリスが、俺に頼んだのは、蝉の死骸。目の前にあるのは、月」
「意味が分からない、どういう意味なの?」

アリスが問うと、サックスは、松谷を見た。

「役立たずと、宝物?」

松谷は何となくイメージを口にする。

「そんな感じ。あんなもの、次に日の目を見るまで、誰も興味は持たないよ。無くなったて惜しくない。次の夏まで、忘れ去られる蝉と同じだよ。あんなものあっても意味がない、其れよりこっちの方が・・・」

オレンジの箱に入った其れは、綺麗な緑の光沢を放った、エメラルドのような石だった。
しかし、どことなく、光の加減や、大きさの割に重さが軽い。

「これは、何?」
「アリス、俺がドラッグマニアって知ってるよねぇ・・・?」

石に見とれながら、サックスは笑う。

「ドラッグの結晶きれぇだろ?」
「つか、僕は、君の自己満足のために、あそこまでさせられたわけ?」

不満そうに、呟いて、サックスの手から石を奪う。

「どんなクスリ?」
「一滴で、世界中の人間が死んじゃう・・・ってのは、嘘でぇ・・・結晶になると、全く効果が無くなる、役立たず。これこそまさに蝉の死骸だね。でも、色々手を加えればまた元の状態に戻って、クスリの効果を示すんだろうけど。もったいないよね。」

アリスと、松谷は、ため息をつき、このドラッグマニアを放っておくことにした。
きっとバカは死ぬまで治らない・・・本当に、よくできた言葉だと思う。