ひとりがたり

日常のもの・こと・妄想など

5.釣りをする人

祈りのように、指を絡ませ、俺はその向こう側の湖にたれる浮きだけをじっと見つめていた。
ここへ来て、もう、4日になる。
小さな魚は釣れても、まだ大物は釣れない。
ちっちゃな魚が、元気にバケツの中ではねた。
其れは、まるで一度釣られた魚だとは思えないほど元気だった。
「釣れますか?ここ最近よく来てるみたいだから」
「まぁ、まぁです、小物ばっかりで」
釣り用の茶色いベストを着た初老の紳士が、俺に話しかけてきた。
俺は、帽子を目深にかぶっているため、立っている男性の顔は見えない。
けれど、毎日となりに座ってる男性のかっこと一致していたため、気にせず答えた。
男は隣で、水面に糸を垂らしながら、ちっちゃなレジャーイスに座り、釣り竿を固定すると、鞄の中からお弁当を出し、食べ始めた。
「そうでしょう。今の時期、ここは小物しか釣れませんよけどね、絶対にあっちの橋の方へ行ってはいけませんよ、ほら、あそこに見える黄色い橋です」
俺は、男の指さす先に視線を移す。
「何か・・・あるんですか?」
男はにっこり笑う。
「たたられますよ」
「たたられる?」
俺が聞き返すと、お弁当を口にほおばり、もぐもぐとかみ砕き、飲み込む。
「あそこはね、よく死体が上がるんですよ・・・」
俺は、ぞっとして、釣り竿を握る手に力を込める。
「止めてくださいよ・・・俺、そう言う話し苦手なんです」
そう言うと、男は残念そうな顔で、話題を変える。
「このお弁当ね、孫に作ってもらったんですよ」
「お孫さんですか?」
「えぇ・・・今年で10歳になります。生意気な盛りですよ」
「でも、可愛いでしょう?」
俺が言うと、男は顔をくしゃくしゃにして笑い、財布から一枚の写真を取り出す。
「これが、孫です・・・」
其処には、小さな女の子と、女の子と目元がそっくりな女性が付いていた。
「そして、こっちが娘・・・です」
写真を引っ込めると、男は、釣り竿を握り、引き上げる。
其処には2匹の小さな魚が付いている。
「可愛いお孫さんですね、羨ましいなぁ・・・こんなお孫さんにお弁当作ってもらえるなんて、俺なんて、いつもカップめんっすよ」
俺が笑うと、男も笑った。
糸をたぐり寄せる。
木の枝がくっついていた。
腕時計を見る。午後2時そろそろかえらないと、家に付くのが4時になる。
「済みません、お先に失礼します」
俺は荷物をそうそうにまとめて、立ち上がる。
男は、にこにこ笑いながら、
「また来てくださいね」
と言った。

駐車場で、荷物を車に積み込んでいると、目の前を救急車と消防車が通っていった。
俺が帰っていく方向、あの橋のあった方だ。
俺は車に乗り込んで、同じ方向へ向かった。

やはり、あの橋の辺りで凄く混んでいて、渋滞になっていた。
俺は、ゆっくりと車を進めながら、人と車の隙間から、様子を見る。
何となく気になった。
ふっと、人の隙間から見えた服装が、あの男性と同じで、俺は背筋が凍り付いた。
車を路肩に止めて、急いで降りる。
近くにいた警官に、事情を説明する。
「あの人、さっきまで俺と釣りしてた人なんです!!」
警官は驚いた顔をして、まさか・・・と呟いた。
「いいから、併せて下さい」
俺が言うと、警官はあっさり救急車の方へ俺をとおしてくれた。
救急車の中では、賢明に救命作業が行われている・・・と、思いきや、何も行われていた無かった。
「あの・・・」
「この人の知り合いの方ですか?」
「あ、いえ・・・さっきまで俺と一緒に釣りしてただけで・・・」
救急隊員の顔が曇る。
「この人は、3時間前になくなってますよ」
俺は、腕時計を見る。午後2時30分・・・ありえない。
「何かの間違いじゃないんですか?」
「体が硬直を始めてますから・・・」
俺は言葉を失った、確かに目の前にいるのはあの男性だ。
けど、俺と釣りしてた時間に男はすでになくなっている。
だったら、あの人は一体誰だったんだ。
俺は、納得行かないもやもやとした気分のまま、車に乗り込んだ。

「どうも、済みません、勝手に乗ってしまって」
さっき救急車の中で冷たくなっていた人間が、俺の車の中で笑っていた。
俺は、恐怖で声にならない悲鳴を上げる。
「いや、済みません、驚かしてしまって。ただ、あなたに頼みがあるんです」
俺は、目を見開いたまま首だけをこくこくと頷いた。
「孫に、お弁当箱を返しておいていただきたくて、お願いしてもいいですか?」
男は、さっき食べ終えたお弁当箱を差し出す。
俺は、其れを受け取り呆然としていると、男はにこにこ手を振りながら去っていった。

どこをどうやって帰ったのか分からないが、気が付けば、俺は自分の家の近所にいた。
辺りが薄暗いことから、だいぶうろついていたことに気が付き、腕時計を見る。
5時。
ふと、一軒の家の前で車を止める。
何となく直感であの男の家だと分かった。
チャイムを鳴らす。
「はい・・・」
かれた声の女性がインターホンで応対した。
「あの・・・済みません、俺、お弁当箱預かってきました」
「今でます」
しばらくすると、泣きはらした目の女性が玄関から出てくる。
「あの、これ、渡せば分かるって・・・」
藍染めのお弁当包みをほどく。
タッパの中に何か入っていた。
「あ・・何かはいてる・・・」
女性は、タッパを開けて、其れを見る。
便せんが入っていた。
「お弁当美味しかったよ、ありがとう」
声に出して読むと、女性はその場にくずおれた。
「お父さんが・・・お父さんが・・・」
俺は、それに背を向け家路についた。
あの男の声で、
「ありがとうございました」
と聞こえた気がした。