ひとりがたり

日常のもの・こと・妄想など

11.柔らかい殻

『あたしをもっと愛して。』
誰だろう、そう言ったのは・・・。
僕が覚えているのは、公園の辺りを歩いているときで、其処から先は何も覚えていない、何故、僕が自分のベッドで朝を迎えてるのかさえ、思い出せなかった。
ピンストライプのシャツに腕をとおして、テレビを見ながら身支度をする。
朝日と鳥の声が頭に響く。
声が、響く。
『あたしを見て』
知ってるけど、知らない人の声。
僕の頭蓋骨がまるで柔らかい殻になったように、ぐねぐねとした感覚がして僕は思わずその場にへたり込んだ。
こめかみの辺りが、ズキズキしてる。
まだ、大丈夫。これぐらいなら何とか行ける。
ふらふらと立ち上がろうとあがいても、体が動かない。
僕の唇が、勝手に笑って勝手に喋った。
僕は少し驚いて、その声があの人の声だって気がつく。
『なんで、あんたはあたしの声を聞いてくれないの?』
僕は、堅くなった頭蓋骨の中でそれを聞く。
柔らかくなったのは、多分あの人の所為。
『あたしの存在理由って分かる?自分以外の自分に愛してもらうこと。そう、たとえば、あんたとか、あいつとか』
彼女が笑う。
と、言っても目は笑っていないので、とても怖い。
『あたしが言葉を作って、あんたが吐き出して、あいつが見る』
彼女の言ってる意味がよく分からなかった。
『わけ、分かってないって顔だね。別にいいや、わけ分からなくても、そのうち分かるでしょ?』
僕は答えない。
『時々罵るのが、あの人で、そのボリューム調節があたし、あんたは営業スマイル』
嫌な役回りでしょ・・・と呟く彼女。
別に、と答える自分。
自分って、一体誰?
時々鏡を見て自分が誰だか分からないって、ちょっと混乱したことがあったけど、その時はすぐに頭の中で整理できた。
今、彼女の目を通して、自分の姿を見た。
やっぱり、あの時の混乱と同じモノが其処にある。
自分が誰だか分からない。
『あんたと、手、繋ぎたいけど、無理だね。絶対に、あたし達はどんなにひかれ合っても触れ合えない』
彼女が悲しそうに苦笑する。
自分は、それを見てる。
自分を見てる自分。
どんどん訳が分からなくなっていく。
合わせ鏡した時みたいに、自分を見れば見るほど、自分が誰だか分からなくなる。
『ねぇ、せめて、こうやって喋らせて。時々で良いから。』
鏡を見ながら、彼女が喋ってる。
僕は頷く。
『本当に、時々で良いから、お願いだから』
彼女はとても悲しそうに、鏡に映った自分の目を見ながら言った。
『僕なんかでよければ』
僕が呟くと、僕のいる場所は水色に変わる。
青空の青がそのまま其処に切り取られたような、水色。
足下が濡れてる。
其処は水たまりの中だった。
それは、僕の生まれた場所。
彼女と出会うきっかけになった場所だ。
そして、自分と彼女の区別が出来なくなってしまった場所。
腕を伸ばして、助けを請うても誰もここにはこれない。
彼女以外には。
あるいは、僕が彼女を助け出そうとしていたのかもしれないけど。
今となっては、もうどっちがどうしようとしてたのか、何も分からない。
ただは、ハッキリしてるのは、どちらかがどちらかを助けようとして存在しだしたことだけだ。
青空の中に、白い月が浮かぶ。
最悪の顔の僕が、水たまりに映し出される。
やがて、空が曇って、雨。
僕の短い髪が雨でびしょぬれになった。
水が滴り落ちて、僕が生まれる。
ここには何もないよ。
本当に。
ただ、あいつの目が怖いだけ。