ひとりがたり

日常のもの・こと・妄想など

8.都市伝説

横木と田口は大きな木の対面にある滝を見上げていた。
滝の大きさはそんなに大きくはなかったが、滝壺は深く透き通った青緑色。周りには落ち葉が堪ってそのうちのいくつかが、滝の下を流れる沢に流されていく。
ふと、横木の脳裏に息絶えて血の気が失せた少年が其処に浮かんでいる景色が浮かぶ。
体から流れる赤い血は、すべて沢に流れていく。
瞬きをするとすぐにそれは消えたが、開けられたままの瞳に映る月が、やけに明るくてリアルだった。
「横木さぁん・・・僕、こういう所苦手って、何度言ったら分かるんですかぁ?」
無精ひげの顎を指で撫でながら、横木は笑う。
「それ、初耳」
「ひどいですよぉ、横木さん!!この前の一家殺害事件の現場だって、その前のトンネル崩落事故の現場だって、言ったじゃないですか!!」
必死に抗議する田口を横目に、横木はそうだっけ、と返したきりまたぴたりと動かなくなる。
黒い服に透き通った深い青緑色をした瞳の男が、横木を見つめていた。

実体を持たないはずの俺の姿を、この男は見つめている。
俺は丁度、その男と滝壺を挟んで反対側に立っていた。
水しぶきが飛んでぐっしょり濡れるはずの服が濡れていないのをみて、驚いているようだった。
その男の後ろをさっきからうろうろしてる男には、俺の姿は見えていないらしい。
「誰だ、と言うか、お前はなんだ?」
と、男が俺に向かって声をかけてきた。
俺は、少し移動して、横目に「死神の様なものだ」と答えてやった。
男が笑う。
「本当に、居たんだな、お前。都市伝説のスーパースター、ディヴァイン・ワイズ・オールド・・・不思議な老賢者とか名前付けられてるけど、お前本当は、真下秀、なんだろう?」
皮肉ったような男の言葉に、俺は一瞬目を細める。
「あぁ・・・名前ね、昔はそんな名前だったかな。でも、今は名前なんてもん、持ってない。あいにく必要ないんでね。」
俺は片方の唇だけ上げて笑うような顔をし、あいつの目の前に瞬間的に移動してやった。
男は驚いて、目を見開き、固まった。
唇と、唇がくっついてしまいそうな距離。
男の眼鏡が唯一の壁となっている。
「今ここで、あんたの魂を吸い出して、あんたを殺してしまうことだって俺には簡単なことなんだ。死にたくなかったら、もう、ここへは来るんじゃない。」
男は、声を抑えて笑う。
「やれるもんなら、やってみろよ、あんた死神なんだろう?」
俺は男の魂を体から引き抜いた。

その魂は、俺の瞳と同じ色をしていた。
深くて澄んだ青緑色。
ぼんやりと輝く姿がとても綺麗でしばし見とれた。
その魂に触れ、記憶をたどる。
最近覚えたばかりのお気に入りの行為だった。
その男の今と過去。男の前世の記憶。
男の名前は横木泰之と言うらしい。男の記憶が映画のワンシーンのように前世の記憶に移行する際、違和感が生じた。
何か、自分に欠けている、懐かしい感覚。
頭の中のスクリーンに、月光に映し出されるこの滝の映像が流れ出した。
俺の顔、自分の体、どんどんと巻き戻されて、真下秀が最後に自分の目で見た映像が流れ出したとき、横木の魂がかつてひとりの人間だったと言うことを思い出した。
俺は、真下秀で、悪意、憎しみの俺と、もうひとりとが分裂して片方は、死神のような物として、片方は生まれ変わると決めた。
手の中の光がゆらりと、揺らめく。
この魂を自分のものにしてしまえば、自分はまた人間として生きられる。
しかし、また、俺は殺されたことになる。
とりあえず、俺は横木の体に魂を戻し、滝壺の中に消えた。
横木は滝壺の瀬に横たわり大きく咳き込む。
救急車を呼んで、ただおろおろするばかりだった田口という男は、泣きながら横木の名前を叫んでいた。