ひとりがたり

日常のもの・こと・妄想など

40.小指の爪(上下コンビ)

近隣住民から、土手の方から腐臭がすると通報があり、近場の交番に勤務する巡査が死体を発見。
そして、うだるような暑さの中、真下と上杉は土手に覆い茂った丈の高い草をかき分け、その穴を覗いた。
「この暑さと雨で一気に腐食が進んだんだろう。」
この腐臭と暑さにも関わらず、真下は涼しい顔で言った。
一方上杉は、眉間にしわを寄せたまま、額から汗をした垂らせ、気分の悪そうな顔をしている。
「吐くんなら、現場で吐くんじゃねぇぞ、あっちで吐け。」
真下は、車の方を指さし、にかっと笑った。
「だ・・・大丈夫っすよぉ・・・うっぷ・・・」
「お久しぶり、お二人さんえっと・・・真下さんと、上杉さん」
女性の声に振り返る、真下と上杉。
「亜由美ちゃん!!」
気分の悪い顔をしていた上杉の顔が、一気に回復する。
真下は、軽く頭を下げた。
まるで帰ってきた飼い主を迎える犬のように、近寄る上杉を軽くスルーすると、佐伯亜由美は真下に鑑識結果の一部を報告する。
「死体の状況で、今現在死後2、3週間程度、詳しい結果は検死に聞いて。でもって、害者の所持品と思われるものから、身分証がでた、本人と見て間違いないでしょうね。一緒に社員証も入ってたから、あなた達の方に回しとくわ。あと、気になることがある。バッグの中の小瓶の中に、小指の爪が何枚も入ってた。それこそ、大人から子供のまで生爪剥がしたみたいに、丸まんま一枚。拷問でもしてたのかしら?こっちの結果も分析に回しとく。」
「どうも、相変わらず、佐伯さんは仕事早いな。」
真下はまっすぐ佐伯を見つめたまま、口元だけ笑って見せた。
「こっちで、出来るだけのことはやっておきたいの、だから、あなた達もあなた達の仕事を頑張って」
にこり、と微笑む。
それをほわーんと、上杉が見つめる。
「じゃあ、とりあえず、身分証の住所へ聞き込み行くか?」
真下が言うと、はっとした顔の上杉がにっと笑う。
「はい、頑張りましょう、俺達が出来る仕事!!」
真下は単純なやつ・・・と内心くすくす笑いながら、聞き込みへ向かった。

訝しげにドアを開けた住人へ、自分たちの身分証と、男の写真を見せる。
「この男性、見覚えありますか?」
上杉が写真を住人の前に掲げ、真下は住人の反応を見た。
女性は、涙を溜めながら、口元おさえた。
「家の・・・主人です。一月前からどこに行ったか解らなくて、捜索願も出していました。見つかったんですか?」
上杉と真下は少し俯き、真下が言葉を紡ぐ。
「残念ながら・・・遺体で見つかりました。本当に、残念です」
女性は、その場にへたり込んでしまった。
真下は女性が倒れないよう支えながら、呟いた。
「本当に、こんな事になってしまい、残念です。身元の確認と、所持品の確認をお願いします。規則、ですので・・・」
女性は放心したまま頷く、真下は人の死を肉親に伝える瞬間が一番嫌いだった。人の希望を断つ、人を絶望に突き落とす、そんな瞬間だ。
そしてそんな行為になれていく自分。そんな自分も大嫌いだった。

女性、柊由貴子を後部座席に乗せ、署へ向かう。
由貴子と柊琢己の間に子供は居なかった。
真下がちらり、とルームミラーで由貴子の様子をうかがう。
助手席の上杉が、真下をちらっと見た。
「真下さん、大丈夫ですか?顔色悪いっすよ」
「大丈夫だ、煙草とコーヒーで一服すれば治るだろう」
前を見つめたまま、口元だけ笑った。
「でも・・・」
「大丈夫だって・・・俺がそんなに柔じゃないって、お前なら解ってるだろう」
「えぇ、まぁ・・・でも、無理しまくりだって事も、俺は解ってますから。真下さん、張り込みの時だって、殆ど寝ないじゃないっすか。」
やれやれ、という風に真下がため息を付く。俺が殆どねられないのは隣でぐっすり眠ってるお前が悪いんだろうが・・・。
「とりあえず、今はこの事件を片づけるのが先だろう。」
「・・・そうっすね」
俯き加減に、上杉が呟いた。

柊由貴子と柊琢己の無言の再開は、純白の布越しに行われた。
由貴子は泣きながら、何度も夫の名前を呟やいたが、けして布をはぎ取ろうとはしなかった。
大まかな手続きが済んで、由貴子から事情を聞いた。
収穫ゼロ。
鑑識の結果が届く。
遺留品から動物の毛に混じって、性別女の髪の毛が数本検出された。
さらに、詳しい検視の結果、死体の置かれた状況から考えて、死後1月程度と死亡推定時刻が修正された。
真下は結果を見て、ため息をつく。
「ほんと、刑事ってのはやな仕事だよな」
コーヒーショップのタンブラーからエスプレッソをすする。
ぴりりとした刺激と豆の味。
「いくら頑張っても、俺達が犯罪をくい止められるわけじゃない、事件が起きてから俺達は犯罪を暴いていくしかないんだよな。」
上杉は黙って、ペットボトルから水を飲んだ。
真下の携帯に電話は入る。
「真下、はい、えぇ、解りました。」
電源を切り、上着を羽織る。
「犯人、自首したって」
「まじっすか?」
上杉も上着を持ち、立ち上がった。

窓越しに見る犯人の男は取調室の机をじっと見つめたまま、まるで人形のように固まっていた。
真下は扉の前で一呼吸置き、ドアを開ける。
「初めまして、あなたが、被害者を殺したって?」
男は机を見つめたまま動かない。
「自首したって聞いたけど、本当に?」
男は机を見つめたまま、呟く。
「名前ぐらい、名乗れ。」
真下は眼鏡の奥で、訝しげな目をしながら、口元だけ笑った。
「悪かったな、俺は真下蜜雪。刑事課巡査部長。あなたは?」
「書類を見て、知ってるだろう?真下蜜雪さん」
「あぁ、辻谷一朗さん」
男は満足げな笑みを真下に向ける。
「あんたに良いこと教えてやろうか?」
「なんだ?」
手錠に繋がれた手を天井に掲げる。
「死神は存在する。都市伝説なんかじゃないぜ、緑色の瞳の死神だ。俺はそいつに出会った。そして、生まれ変わった。来る日も、来る日も、死体の爪をはがし、初めて、生きてる人間の爪をはがしたのは、やっとあの男が死んだ日だった。俺はあの男の爪をはがした。親指から順番に、最後に小指の爪を残して、小指の爪か、命か、命乞いをさせた。その快感は忘れられない。大の大人が、涙を流しながら俺に懇願するんだ。生きたいよ、死にたくないよ、痛い、辞めてください、助けてください。楽しかった。人を絶望に貶めることは。」
男は喉でくっくっくと笑う。
真下も笑ったような顔をしたが、それはただ男への冷笑だった。
「死神?それはあんたのことだろう。せいぜいその死神に怯えながら檻の中で暮らすんだな」
真下は席を立ちその場から去った。