ひとりがたり

日常のもの・こと・妄想など

70.ベネチアングラス

気に食わない物は、片っ端からぶっ壊した。
俺と同じように。
壊して、壊して、壊して。
最後に残ったのは、俺の瞳と同じ、すみれ色のベネチアングラス。
俺は、それをぐっとにらみつけ、左手でなぎ払った。
なぎ払った拍子に壁に当たって割れたグラスの破片が、俺の肌を傷つけ、頬と左手から赤い液体を溢れさせた。
関係ない。
これは、俺の体じゃない。
すみれ色の破片の一部に、俺の血が滴る。
気に食わない、頭に来る。
この顔も、この体も、この狂った脳味噌も。
すみれ色のベネチアングラスだった物の一部を拾い集め、踏みつけた。
細かい、すみれ色のガラス片に変わっていく。
さらにむかついて、俺は、ショットガンを手に取り、ぶっ放す。
硝煙の香りが、心地いい。
「畜生!!畜生!!畜生!!」
俺は何度も毒づいた。
仕上げに、俺は、ショットガンを自分に向けて、腕が届かなかったので、足の指で引き金を引こうとした。
しかし、俺の体はまるで何かに乗っ取られたかのように、動けなくなる。
声だ、声が聞こえる。
瞼を綴じると、そこには、菊月、サックスレリオット、あすみ、その他俺の中の人間達が、俺を囲んで無言のまま見つめていた。
サックスが俺に歩み寄る。
「本体の君が壊れてしまったんだったら、仕方がないよね?」
手をさしのべられて、俺は、思わず自分の手を出してしまった。
サックスは、微笑んで、俺をスポットライトから引きずりおろした。
「菊野香月、君はこの体の元々の所有者だけど、今の君が、この体を所有していたら、僕たちもろともあの世行きだ。だから、しばらくの間君には眠りについてもらうよ。その間、君の体は僕が面倒を見るから。」
サックスは、スポットライトの中に立ち、また天使のように微笑んだ。
「アリスの件も、僕が片を付けておく、安心して、眠るんだ」
俺は、何も返せなかった。
どうせ、俺にはもう生きる理由も、価値もない。
だったらいっそそのまま消えてしまった方が、いいだろう。
たいせつなものは、全て、松谷陽一郎に持って行かれてしまった。
恩を仇で返された形だ。
俺は、アリスを思いだして、少し微笑んで、サックスに宜しく。とだけ伝えた。
それからしばらく、眠り続ける中で俺は俺の中の悪意を充電することになる。
俺の悪意は計り知れない。
サックスレリオットなんて飲み込んでしまうだろう。
もしかしたら、俺の中でバラバラになっていた人格が全てひとつになるかもしれない。
アリスの居ない世界で、触れれば壊れてしまうような人間の皮をかぶりながら。
一度は死を覚悟したもののそれでも、俺は生きることに執着したらしい