ひとりがたり

日常のもの・こと・妄想など

never end

neverendというのは、幼なじみの親友に見せていた心象風景をマンガ形式に書いた、詩と写真の原型のようなものである。
感傷的な文章を痛々しい絵でお送りするなんとも思春期特有のあれなものであった。
今みると、色んな意味で泣ける。
100編以上書いた根性とか、絵の未熟さとか、今以上に独りよがりな文章。
しかし、あのころは思春期特有のあれな時間が永遠に続くように思えた。
けれど今はその延長であるはずの詩と写真を作るとき、そのような気分ではない。
思春期特有あれな時間は、思春期であるから存在していたのだ。
まぁ、死にたいぐらい悩んでいたのはわからないでもない、世界がそこにしかなかったのだから。
しかしね、世界は広いのだよ。
視点を広く上から下まで左右後前、360度見渡してみなよ。
今の自分にさえそんなことは難しいけれど、違う世界が見えてくるはずだ。
私はなるべく広い視野でいられるよう気をつけながらここにいる。
まだまだ未熟者だけれど、そうすることで、文章を構築するときどうすればいいか、自然と見えてくる。
しかし、構築した文章の捉え方は人それぞれに違うはずだ。
当たり前だ、脳がコンピューターネットワークのように他人とケーブルや無線LANでつながっているわけではないから、気持ちを共有するのは難しい。
だから、面白いのだ。
私の構築した文章から、いくつもの気持ちが生まれる。
そういった人の意見を見聞きし、また私の視野は違う部分をとらえることができる。
つまりは情報の交換を行うことにより、作品の質は進化できるはずだ。
だが、ここで注意しておきたいのは、情報の交換であり、作風の並列化ではない。
あくまで質を向上させる為の情報交換なので、自分の『味』を残しておくことが必要である。
話はだいぶずれたが、すっきりしたから良いや。