本をたくさん読むことと心の知能指数は比例しているのかもしれない話
さて、何を書こうか。
久しぶりに、ブログの投稿画面を開いたものの何を書こうかさっぱり思い浮かばない。
過去の出来事?今がどれだけ幸せか?
否、そんなことを書いても誰が興味を持つだろうか。
世の中に頭のおかしいやつはたくさんいる。
そうだ、他人から見たら私だって頭がおかしい人間なのかもしれない。
ツイッター上で見る「母乳?」とか「まだ一人だけ?」とか「かわいそう」ばばあとか今のところ私は実の祖母ひとりにしかあったことがない。
私は実の祖母にそんな言葉をかけられたときに、
「この人の時代はこれしかなかったから仕方ないんだな」
私はいつだってそうなのだ。
何か腹立たしいことがあっても「こいつがこんなこと言うのはきっとうんこしたくておなかが痛いからに違いない」とか何かのっぴきならない理由があって、こんなに怒っているんだなと思うようにしている。
受け流し体質になっているのだ。
だっていちいち正面から自分が傷つく言葉を受けてたらそれこそ全部致命傷になって死んじゃうよ。
だから自分が傷つきそうな言葉はすらりと交わすようにしている。
私だって最初からこんな風に受け流しができたわけではない。
がっつり正面から受け取って死にかけたことだってたくさんあるし、サイコパスみたいな扱いを受けたことだってある。
妹を見てると思うのがやつは結構神経質で、私みたいに受け流すのが苦手だ。
観てる私がやきもきしてしまう。
のらり、くらり生きている私の「のらり」だけでも分けられたらいいのにと思うぐらいにはまじめだ。
そこでなぜ、私が自分が傷つく言葉を交わせるようになったのか考えてみた。
一瞬で答えが出た。
「読書」だ。
私は子供のころから読書が大好きで、本を与えると食事も忘れるぐらいずっと本を読んでいる人間だ。
今は子育てで読書時間もぐんと減ってしまったが、それでも毎朝ステッパーを踏む15分は読書をしている。
読書は疑似体験だ。
自分が体験したことのない体験を、物語の主人公を通じて体験し、感じることができる。
相手にこういうと傷つく、喜ぶ、というのが疑似的に体験できる。
これはRPGで言ったら何度も敵にぶち当たってレベルアップしていくのと同じだ。
対人スキルとか心の知能指数が上がっていくのではないかと考えた。
25歳ぐらいまでは実家暮らしだったので時間の許す限り本を読み続けていた。
それで受け流しスキルが上がったのではないか?
そんな風に考えた。
考えたけども、もともとの性格かもしれないし、もともと体の中に何か刻み込まれた受け流しの才能なのかもしれない。
基本対応は受け流すだけど、どうしてもどうしよもなく腹が立つことが人間なので私にもある、そういう時は相手の気持ちを逆なでするような言葉をわざと選ぶという底意地の悪さもある。
さらにそのうえ、正論をぶつけて相手を完膚なきまでに叩きのめしてしまうこともあるのだけど、それは本当に腹が立ってどうしよもないときだけなのでめったにない5年に1度ぐらいだろうか。
とまぁ、よくわからないが時間も時間なので今回はここでしめるとする。