ひとりがたり

日常のもの・こと・妄想など

おもしろくないひと

やっはろー梅吉です。

 

私は自分で自分が面白くない人間だと思っている。

周りの人間の方がよっぽど面白く、興味深く、見ていて面白い。

どんなに怒っていても、笑っていても、冷静でも、人を見るという事が面白い。

現実もネットも同じに面白く感じるのだ。

 

自分以外の人間がこんなにも面白い理由を考えてみた。

・キングオブくだらないことで怒っている

・視点が違うので気付きがある

・自分よりも面白いことに気づくことに長けている

・とげの無い言葉で語っているが実はめっちゃとげのあることを話している

・怒っている理由を聞くと腑に落ちるがそこまで熱量を持てるのがすごい

・すごくきつそうなママさんが実はすごくかわいくて・砕けてて・話すと楽しい

・美人ママが私と同レベルの思考

・考え方が対極でも同じ方向に向かっている人もいる

などなど

 

よくツイッター上でも現実世界でも挨拶して返してくれる人は大体そのあとも交流できる。

けれど、挨拶してもイイネも返事もない人は交流を持っていくのが難しくやがて消えていく。

いや、自分もネットでは見逃してしまうコメントが多く返事を返すことが大変でイイネで済ましてしまったりそのまま忘れてしまうこともあるけれど、一度も何のアクションもないというのは交流の持ちようがない。

自分が嫌われたとか気にして考えるよりは、あぁ、そうね、そういう人もいるから仕方ないぐらいで流した方が楽である。

いちいちあいさつしたのに返事がない、イイネがない、あーだこーだと考えていたら疲れちゃうでしょ。

気軽でいいんです。

自分が機嫌よく、挨拶できるときにしたらいい。

 

話がずれた。

私は他人よりも面白くない。

という話だった。

 

そう、他人、他人を見ることが楽しいのだ。

昔からそうだった。

友人やクラスメイトを観察しては絵に描いたり記録しているような人間だった。

なぜ、自分が嫌いになったのか(今は何とも思わないが)他人が面白いのに自分は何も持っていないからだった。

今は自分に対して何とも思っていない。

悩んだり、考えを持ってたり、そういうことはあるけれどまぁ、あぁしいて言うならデブだから痩せるデブだから痩せると思い続けて一年10キロやせたけどもうちょっと痩せたい。

自分に対してはそれぐらいだろうか。

まぁ、自分が好きとか嫌いとかはなくなってしまったね。

心身が健康で生きて楽しくいられればそれでいいという感じかな。

 

ひとはおもしろい。

おもしろいと思うことで愛しくなる。

 

あぁ、そうか。

私がめったに怒らなくなったのはひとがおもしろいと思うようになったからだ。

ほとんど感情をうらみつらみに変換しなくなったからだ。

うまく表現できない。

川の流れのようというにはまだ抵抗がある。

合気道のような感じに近いのかもしれない。

あ、合気道だと相手の感情をそのまま相手に返しちゃってるか。

ん…返しちゃってる?

かもしれない。

私がすっとよけることで相手のダメージになってるかも?

 

話がよくわからない方向になって来たので、今日のひとりが足りはお開き。

またね。

 

今日はこんな本のことを考えながら書いた。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

 

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 

 

親切は脳に効く

親切は脳に効く

 

 

 

 最近ほんと、思考が止まらない。