二度の散歩と真夏日と木陰の多い公園
やっはろー梅吉です!
このブログを書いてるのは5月13日
自粛中で4歳の娘と一緒に近所の公園に行きました。
近所の公園は公園の半分が林になっているのでとっても涼しかったです。
がしかし!
虫が怖い娘は木陰のほうに行かずひなたでひたすら遊び続けていました。
15分に一回の水分補給をしても追いつかないほどの日差し……まて、わいがしぬ。
真夏の日差しにくらくらしながら桜の実を拾っていた(;'∀')
家の帰ったら水浴びしようぜなんて言いながらナチュラルにマクドナルドによってテイクアウトしてお家に帰ってきて食べたら娘と一緒にぼんやり。
まるで普通の日曜日のような感じ。
コロナ禍という急に訪れた疫病の脅威とは無縁のようなのんびりとした日々。
保育園が始まったら、夫の仕事が再開したら、また、疫病におびえる日々が来るのだろうか。
早くワクチンや感冒薬ができないかな。
4歳の娘とこんなに濃厚に過ごせるなんてきっとフルで仕事してたら体験できなかっただろうな。
終わってほしいような終わってほしくないようなこのコロナ騒動。
不謹慎という言葉で片づけられる?
この疫病がはやってから、より身近に感じるようになった死ぬかもしれないという感覚。
人生は一度。
どれだけ大切な人を大切にできるか。
毎日娘と散歩しながら、その小さな暖かい手を握り大切さも一緒に握りしめる。
死はいつもタイミングが悪い。
最近読んだ本に書いてあったな。
大変興味深かった。
あぁ、あったこの本だ。
死は必ず訪れるので、どう生きるべきか考える。
そんなことを言っていた。
どう生きるべきか、それを実行したとしても死はタイミングが悪い。
どのタイミングでやってきてもまだ早いと言われる。
なるほどねって思った。
そう、私はそうなんだ。
幸せな時にさえ、必ず訪れる死を考えてしまうんだ。
それは悪い事ではないらしい。
真夏日でくらくらするような暑い日差しの中、少し汗ばんだ小さな手。
この手が大きくなるまで私は彼女とともにいよう。