ひとりがたり

日常のもの・こと・妄想など

46.名前

「真下秀・・・そうだね、真下秀のままで・・・」
彼は呟いた。
あたしはあたしの肩にもたせかけられた真下の頭を撫でる。
凄くさらさらで、柔らかい髪の毛だった。
「自分に名前なんて、本当はないんだ。名前があってはいけない、そう言う決まりがある。けど、俺はその決まりさえも破った。だって、不便だろう。昔は、名前なんて必要なかったけど、今は必要だ」
呟くような、静かな声、あたしはどきどきしてしまう。
「名前があるから、あたしは貴方の名前が呼べる」
にっこり笑う。
それを、あたしはそうだね、って返事として取った。
「でも、俺が死神にモードになったら、呼ばないで、ふさわしくないから。名前なんて、絶対にふさわしくない」
彼は、車のエンジンをかける。
「送ってくよ、明日も学校だし。遅くなると色々と面倒だろ?」
にっこり笑う彼を見つめる。
「ねぇ、真下って、誰にでもそうやって・・・えっと、その、キスしたり、えっとその・・・」
「あんな事するかって、聞きたい?」
ハンドルを握って、前を見つめたまま彼が呟く。
車の中で流れてる音楽が、まるでBGMのようだ。
あたしは、ただ頷く。
「するよ、自分が狙った・・・その、」
「獲物には?」
彼が少し困った顔をして、続ける。
「獲物って言うのは、何か、品がよくないけど・・・まぁ、そんなところ。でも、君は、違う・・・かな。」
今度はあたしが困った顔をする番だった。
「どういうこと?」
「全く、君は・・・何も分かってない。俺は、壬原千郷(みはるちさと)が気になって仕方がないって事」
あたしの心臓が今までにないくらい飛び上がる。彼が、死神だって聞いたときよりも、もっとどきどきしてる。
黙ったまま、呆然としたあたしを赤信号の好きにちらっと見る。
悪戯そうな瞳だった。
「本当は、死神がこんな事言っちゃいけないんだけどね」
呆然としたあたしを乗せたまま、彼の運転する車はあたしの家の前に着いた。
「着いたよ、それともまだ俺の車に乗っていたいの?」
はっとして、あわててドアを開ける。
慌てすぎてシートベルトをしたまま出ようとしたから、あたしはシートベルトに引っかかって、シートに押し戻されきょとんとした。
それを見て、彼は大爆笑。
涙目でただ爆笑していた。
「あぁ、もう、何とかしてよ!!気になるんでしょ!!」
と、悪態を付いたが、全く気にする様子もなく彼は爆笑しながら、ベルトからあたしをほどいた。
「だから、気になる」
あたしは怒って、ばたんとドアを閉めるとつかつかと、玄関へ向かった。
彼の視線を感じたけど、絶対に振り向いてやらない、振り向いたら彼の思うつぼだから。

次の日。
「千郷・・・なんか、真下さんって言う男の子が来てるけど・・・」
「はい?」
「はい?じゃなくて・・・あんたの彼氏?」
一瞬の沈黙。
「いや、そうじゃないけど・・・何だろう」
あたしは、パンをかじりながら玄関に出る。
「はい・・・何?」
「やっぱり、面白い・・・普通、男子が迎えに来たのに、パンかじったまま出てくる?」
あたしは、ちょっとむすっとする。
「で、その、男子は何であたしなんて迎えに来たわけ?」
「昨日言ったじゃん、気になるから」
「どういう風に?」
にっこり笑う。
「それより、速くしないと、俺まで遅刻しちゃうんですけど・・・」
あたしは時計を見て、驚く、あと15分しか支度できる時間がなかった。
答えをはぐらかされた形になるけど、しょうがない、あたしはドアを閉めて家を出る準備をした。
答えは、道中聞いてやる・・・あたしか決心してドアを出ると、かれはうちの前で空を仰いでいた。
それはとても人間らしくて、とても死神には見えない。
あたしの気配に気が付いて、振り返ると、風でちょっとくしゃくしゃになった髪がとてもかわいらしかった。
「・・・雨、降るかもしれないから、傘もっていった方がいい」
「何で、分かるの?」
「死神だから」
あたしはその言葉の意味が分からないまま、とりあえず傘をもつ。
外は凄く晴れてるのに、傘をもっていくなんて馬鹿みたい。
「じゃ、行こうか?」
またにっこり笑う、そのたびあたしはどきどきしてしまう。
並んで歩きながら、彼が続ける。
「死神はね、雨の日にしか出ないんだ」
「何で?」
少し空を見て、ささやくように続ける。
「そう言う決まりだから、晴れてると、人間の魂も元気になるから、多分上手く抜き取ることが出来ないんじゃないかな」
「ふうん・・・死神って、決まり事が多くて面倒だね」
あたしが笑うと、複雑そうにあたしを見つめる。
目の色が、漆黒よりも薄くなってる、深い深い本当に黒に近い紫色。
「朝の答えだけど、君って本当に、鈍いね。もう、ハッキリ言わないと分からない?」
不意打ちを食らってあたしは立ち止まる。そして吐き出す。
「分かるけど、ハッキリ言って欲しいの!!」
そう、分かってた、分かってたんだけど、確信が持てなくて・・・やっぱりあたしって、鈍い。
彼はあたしに近づいて、手を握る。
そして、にっこり笑って。
キスをする。
あたしの頬が熱くなる。
「好きって、事。分かった?」
あたしはただ引きずられるようにして、学校へ向かった。


彼の言ったとおりその日は、この前のように土砂降りの雨になった。
そして気が付けば、彼もその雨と共に学校から姿を消した。
次に会うのは、雨が上がった日のことだった。