ひとりがたり

日常のもの・こと・妄想など

55.砂礫王国 2/3

コンビニで買ったチョコレートを口に放り込みながら、外を見た。
深い青緑色の、そう、秀ちゃんが死神になったときになるような、きれいな色の、大きな湖が、きらきら輝ていた。
空は雲一つない青空。
アタシと秀ちゃんを乗せた車は、くねくねとした湖沿いの道をすべらかに進んでいく。
紅葉した落ち葉が舞う。
関東屈指の紅葉スポットなのに、道路はあまり混んではいなかった。
湖沿いのパーキングに車を止めて少しだけ休憩。
秀ちゃんの話では、ここから後30分は車を走らせなきゃいけないらしい。
それでもアタシは別にかまわなかった。
パーキングは、紅葉シーズンのため、かなり混んでいた。
空気が澄んでいる。
アタシは持ってきた携帯のカメラで、紅葉と湖を撮った。
スズミが言った言葉を思い出す。
「あなたと、アタシは半分こになってるの。だから、ひとつにならなきゃ」
アタシはよく意味が分からなかったから聞き返そうとしたら、その子が消えて、秀ちゃんが後ろからアタシに声をかけた。
その子はまるで、秀ちゃんから逃げるように姿を消した。
アタシは気になって、そのことのことについて秀ちゃんに話をしたら、秀ちゃんのルーツを話してくれた。
自分が殺されてしまった話なのに、他人事のように話していたのを鮮明に覚えている。
だから、ちょっと意地悪な気持ちが生まれたのかもしれない。
アタシは、秀ちゃんの死体が遺棄された場所を見に行きたいと、秀ちゃんに言ってみた。
我ながら悪趣味な提案だ。
秀ちゃんは眉間に少ししわを寄せて困った顔をしただけで、何事もなかったかのように承諾してくれた。
少し休憩した後、あたし達はまた車に乗って進んだ。進んだというか、戻っているのかもしれない、あたし達の原点へ。

本当は、その話をするべきではなかったのかもしれない。
真下秀がまだ人間だった頃に、松谷陽一郎という人間に殺され、遺棄されたこと、吉田鈴美と恋人だったこと。
でも、嘘をつくことは出来なかった。
これは、とても大事なことだから。
車のエンジンをかけ、走り出す。
車で現場まで行くのは初めてだった。
なぜなら、いつもは何か考え事があるときに死神の姿のまま行くから、車なんて必要ない、意
識だけをそこへ飛ばせば良かった。
だから、実際にこの道を通るのは、松谷陽一郎の運転する車のトランクに載せられて以来初めてだった。
何本ものカーブをくねくね進んで、現場に着いた。
細い道で車がすれ違い出来るように、道幅が少し余分にとってある、余分スペースに車を止める。
道路を確認する、車一台ぐらい通れるだろう。
おれは、少し間を置いて、ドアを開ける。
木葉の匂い、冷たい空気。
あの時と殆ど変わってない。よどみない、澄んだ空気だった。
千郷の手を取り、道の脇から、滝へ続くルートへと入る。
落ち葉がクッションのように振り積もって、地面がふかふかしていた。
あの時、こんな感覚を味わってる暇はなかった。
白い水しぶきをあげる、透き通った深い青緑色をした滝壺が目にはいる。
滝壺には幾分か木葉が沈んでいたが、殆どは船のように流れに乗って小川に流されていく。
「ここが・・・?」
俺はうなずく。
まるで時間が止まってしまったかのように、あの時と何ら変化はなかった。
空を見上げる。
変化はないと、思いきや、辺りに茂る木の丈が生長していることに気が付く。
「その、滝壺の中に俺は棄てられた。月の綺麗な、寒い夜。こんな話し、誰にもしたことはなかったな。ずっと、ひとりだったから」
流れている水に掌を浸した。
刺すほどに冷たい。
「ねぇ、続けて」
おれは、掌で水をもてあそびながら、続ける。
「スズミにも話してない。・・・映画館の前で刺されたけど、それは致命傷じゃなかったんだ。本当は、ここで殺された。出血と傷でくたくたになった俺をさらにあの道から、ここまで歩かせて、『これ以上苦しまないように、止めをさしてあげよう』あいつは、俺の耳元でそう囁いた。本当に、くたくたになってた俺は、返事も出来ないで、そのまま口と鼻を押さえられて、頚動脈をざっくりナイフで切られた。びっくりするぐらい、もう、なんていうか、血が心臓の鼓動に合わせてシャワーのように吹き出るんだよ。刺されて血が流れ出てたのに、まだこれだけ残ってたのかってぐらい・・・」
おれは、千郷を見つめた。
「ひどい・・・」
千郷は、自分の口を両手で覆い、泣きそうな顔で呟く。
かまわず、俺は続けた。
「それで、ここに棄てられた。死んだはずなのに、開けたままの瞳から、辺りの景色が見えるんだ。自分の血で、真っ赤に染まった小川とか、月の光で逆光になって、黒い影になった松谷陽一郎とか。まるで、窓から外を見てるみたいだった。だから、俺は窓から外へ出てみた。気が付いたら、この辺かな・・・」
俺は、自分が棄てられたところと対角線上の滝の側に移動した。
そう、この景色だ。
「ここに立ってた。ひとりで、自分の死んだ体を見つめてたんだ・・・」
千郷は無言で俺を見つめた。
「秀ちゃん、ひとりで、寂しかったよね?」
微笑む。俺。
ひとりが寂しかったんじゃなくて、色々な物を失ってしまった色々な人を悲しませてしまうであろう、自分に対して、憎しみに似た感情が産まれた。
俺は、千郷の隣へ戻ると、千郷の肩を抱いた。
「俺より、悲しませてしまった人がいるから」
千郷は俺を見つめ、囁く、俺は、その唇を見つめた。
「ヨシダスズミ」
その名前が彼女の口から発せられるのを確認すると、俺は、とてつもない罪悪感にかられた。
彼女をとんでもないことに巻き込んでしまった、と言う、罪悪感に。